1976に作られた。トリプルギターの奏でるテーマ
フレーズが印象的な曲だ。この曲にはとてもコアな
ファンがいて、事あるごとに演奏の機会をくれる。
実は今日も、この曲をご本人の誕生日イベントの
先頭にご本人が歌うために、付き合いでお出かけした。
横浜のサムズアップという老舗のLIVEハウスだった。
彼はいつもプロの手練れを集めてくれて、この曲の
言わば永久保存に一役買ってくれている感謝すべき
ファンである。
それにしても、今日のメンバーは凄かった。ギターに
佐藤克彦、佐々木章、知る人ぞ知るギター職人2人だ。
とくに、佐々木さんは日本のスティーブペリーと呼ば
れるほどで、私的にはとてもそそられた。
この曲の、悲しみを炙り出し、スリリングかつメロ
ディックに弾けるギタリストは、正直これまでプロの
世界では逢ったことがなかった。しかし、、
彼は凄かった。リハの後に「この曲はどういう内容
の曲なのですか?」と聞かれた。初めてのことだった。
実際に本番は圧巻だった。この曲は本来、ギタリスト
が3人いればソロパートは3人で回すようにしてきた。
でも、リハが終わった時点で自分のソロパートも彼に
弾いてもらおうと決断した。この曲で自分が完璧な
バッキングをしたいと思ったのは初めてだし、ソロを
弾かなかったのも初めてだった。結果的にすごく楽し
かった。
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ギターという楽器は100人いれば、100通りの弾き方があり、
基本はあるものの、運指の合理性も含めてどれが正しいとか
は一概には言い切れないものがあります。
例えば自分の最近のSoloの傾向はマイナーコードにおいては、
ハーモニックマイナースケールを使うことが多い。LOOPの
曲中でも「キュン」とした感じが出るのはそういうことです。
逆に、メジャー7thコードでは、Soloはイオニアンスケール
を使って明るい感じに弾くことが多いです。POPS感を出す
ことでJAZZYを気取らないように意識しています。
皆さんも、自分の癖が分かってくると次の目標が立てやすく
なりますよ。いずれにせよ、楽器には毎日5分でも触るよう
にしましょう。
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いまだに頑張っています。
3月に「CROCH/LOOP」「MAO/生かされるもの」がYoutubeにあがりますが
そこでは、久々にSoloも弾いています。
現在のGitarは、RYOGAの22フレットを使っていて、フロントピックアップの
音色はかなり綺麗です。イフェクターは最新のモニカと、ワンコントロールの
リバーブだけです。
皆さんも頑張ってギターを続けて欲しいです。
それではまた。
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ローリングストーンズがデビューした1960年代初頭、当時の一体誰がミックジャガーは70を過ぎてなおロックンロールで腰をクネらせていると想像しただろうか。またヒフミが音楽を始めた当時、一体誰が彼の創作が現在まで続くと想像しただろうか。
しかし実際には、ミックは今なおセクシャリティーをプンプン匂わせているし、ヒフミは何とまたニューアルバムをプロデュースしてしまったのだ。どうやらヒフミの腰もまだまだ現役を退く気はないようだ。
ヒフミが本格的にギターに血道をあげるようになったのは1990年のことだ。無論それ以前から常に傍らにはギターがあったようだが、ドラムを叩くことがそれまでのヒフミの本分であった。しかし、あるレコーディングセッションへギタリストとして参加したことが、ヒフミをギターに傾倒させる契機となった。このレコーディングで「俺っていけるじゃん」というギタリストとしての手応えをヒフミは得たのだ。こうした自己確信(しばしば勘違いとも言われるが)こそが優れたアーティストの資質である。
ギタリストとしての自己を発見したヒフミは、その創作意欲をバンドという形態によって具体化を試みる。ヴォーカリストなぐもくみとのユニット、「チャンピオン」である。
このユニットでユーミンのカバー、ヒフミのオリジナル曲によって構成されるアルバム『デューク』を発表する。プロのメンバーを加えて制作されたこの作品は演奏、録音の両面でインディーズのレベルを遥かに超える作品となった。スタジオもあのルナシーが使ったサウンドスカイの伊豆(川奈)のスタジオで収録された。自作曲の中で自身のギターをいかに巧みに鳴らすか、これこそが『デューク』という作品においてのヒフミのチャレンジである。また百戦錬磨のプロアーティストとレコーディングを共にするというシビアな状況は、ギタリストとしての強い自信をヒフミに与えた。
チャンピオンとしての活動に並行するようにヴォーカリスト アンディー・ホリーフィールド(元シャープホークス)のバックギタリストを務めるようになる。アンディーの歌に即興で伴奏を付けるという実験的かつスリリングなこの活動は、ヒフミにとって格好の鍛錬の場であった。
1997年、ギタリストとして離陸を始めたヒフミが次に向かったのは、自身一人による完全なアンサンブルである。こうしたアティテュードはアルバム『エンスジアズム・情熱』として結実する。キーボード、ドラムプログラミングなど全ての演奏をヒフミ一人がこなしたこのアルバムはタイトルの通り音楽への情熱の結晶である。そしてこのアルバムはHMVを通し全国へと流通され、ヒフミの想像を大きく超えるセールスを上げることとなった。自身の手によって全てを作り上げた作品がセールス面で評価されたのだ。この事実がヒフミにどれだけの自負をもたらしたかは誰にでも容易に想像できるだろう。後に発売されるバリュー・オブ・ザ・ライフはこのアルバムから「進化」した作品と言えるだろう。
ギタリストとは「何か弾いてよ」という漠然としたリクエストに意外と弱い生き物だ。何を弾いたら良いのか分からなくなってしまうことが往々にしてあるからだ。例えばエディ・ヴァンへイレンばりの速弾きを披露したところで、相手は分かったような分からないような顔をするのが関の山であろう。ギター1本のみで聴くものを唸らせる説得力ある演奏をするのはなかなかどうして難しいものだ。が、しかしこの難問こそがヒフミの次ぎなるチャレンジであった。ギター独奏、ヒフミの情熱はこの一点に注がれることとなる。どれ位情熱を注いでしまったかと言うと、エレクトリックギターやキーボードなどの電気を必要とする機材を全て売り払い、アストリアスというアコースティックギターに換えてしまう位、である。
2003年、一年に渡るトレーニングを経て、ヒフミのギター独奏の追及は『アイズ』というアルバムによって具体化される。全編をアストリアス一本のみで演奏し切ったこのアルバムは、クラシックギターやジャズギターの要素を取り入れたヒフミの新しい世界観を感じさせる。
自ら音楽を演奏する一方で、ヒフミは自分の周囲の優れた才能を応援することもはじめる。まず手掛けたのは、チャンピオンのサポートをしていたギタリストの横田アキオである。横田と女性ヴォーカリストによるデュオ、フライドプライドをビクターと契約させるにいたる。フライドプライドのデビューアルバムはスウィングジャーナル誌でゴールドディスクを獲得するという快挙を果たし、日本版タックアンドパティという評価を得る。ヒフミの音楽への鋭い嗅覚が証明された瞬間だ。プロデューサーはケニー稲岡、ECMでキースジャレットやパットメセニーをメジャーにした巨匠で、なんとヒフミとはレコード会社の元上司であり、尊敬する先輩という関係だ。
続いて手掛けたのはタオルズというフォークデュオだ。自由が丘の駅前でストリートライブをしていた当時高校生の二人をヒフミは積極的にサポートする。彼等がコロンビアレコードと契約するきっかけとなった、NHKサウンドオンエアバトルへのデモCDはヒフミによって収録されたものだった。
音楽界を放浪するプロフェッショナル、それが僕の持つヒフミの印象だ。ヒフミの放浪を支えるモチベーション、それは音楽への情熱に他ならない。アマチュアやプロといった枠組みに捕われず自分のやりたい音楽を追求する姿勢と情熱は、多くのミュージシャン達の心を動かし「こいつを手伝ってやりたい」と思わせたことだろう。現在までに発表されたCDのジャケットに記載された参加ミュージシャン達の名前の数々はその証明だ。三十半ばを過ぎたオジサンが本格的にギタリストを目指すという一見馬鹿げた話も、情熱をもって臨めば実現する。遅咲きのギタリストヒフミのプレイはそう語っているのではないだろうか。
最新の映像
2020.3/7 恵比寿天窓「SWEETELF」/ DEAD LINE「Youtube」撮影:仲谷次城
2011「SWEETELF」/REVOLUTION 監督:西川昇
Hakken Records でのプロデュースアルバム
1993 Champion /DUKE
2003 masuda123/ENTHUZIASUM
2007 masuda123/EYES
2011 SWEETELF/REVOLUTION
2013 Jiyugaoka POPS/うたをうたおう
2014 CROCH/かんじて
2015 Jiyugaoka POPS/ Jiyugaoka POPS 2015
2018 Jiyugaoka POPS/OMUNIBUS
2019 SWEETELF/STORM PAIN
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